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ヘッドホンをなくして泣いた話とADHDと優しさの話

先日、ヘッドホンをなくした。
まあ事情は色々あるのだけれど、とにかく、家に帰ってきたら愛用のヘッドホンがなかった。

心当たりは、まったく無かった。

自分の根本はADHDであって、宿命であって、逃げられないのだ

性能も付け心地も熟考して購入した、限定カラーのヘッドホン。
このブログにも何度も登場しているBOSEの《Quiet Comfort35II》である。

部屋にも鞄にもない。

ないことが分かったとき、ひたすら泣いた。

なくしたことより、自分がADHDであることがただ辛かった。

工夫して生活してきたつもりだったけど、薬も飲んでいたけど、結局自分はADHDなのだと思った。
自分の根本はADHDであって、宿命であって、逃げられないのだと思った。

悲しくて、探す気力はなかった。

もう一個買おうかな、今度はネイビーではなくて、鞄に入っているかが分かりやすいピンクにしようかなあ、ちょっとイメージと違うなあ、とぼんやり思った。

話はそれで終わらなかった。

グループチャットに情報がまとめられていくのをただ見ていた

翌朝SNSで「誰か遺失物の問い合わせの電話をかけてくれませんか」と呟いたら、ものの10分で4人が名乗り出てくれた。

僕を合わせて5人で作られたグループチャットに、情報がまとめられていくのをただ見ていた。
電話をしてくれただけではなく、その日の僕の行動を聞き出して推理し、関連する場所にもガンガン電話をかけてくれた。
僕は聞かれたことにぽつぽつと答えていただけである。

そのうちの一人が「用事のついでに現地行ってくるね」と出かけたのは、グループチャット作成から1時間もしないころ。
僕が前日に行った場所やお店を、辿ってくれたようだ。
本人は行きたかったから行っただけという姿勢だったけれど、大きな駅の片側のデニーズと駅の反対側のカフェなんて、普通は行かない。

「見つかるまで諦めない」と言ってくれた人もいた。

あまりの勢いに、ぼんやりと「見つかるかもしれない」と思った。

現地の店員さんも、みな優しかったそうである。

ぼくは紛れもなくADHDだけど、そのぼくの生きる世界は想像よりずっと優しく、あたたかかった

ぼくは紛れもなくADHDだけど、そのぼくの生きる世界は想像よりずっと優しく、あたたかかった。
ぼくのADHDが宿命であるのと同じように、助けてくれる人が近くにいることも、きっと宿命だ。

結果、ヘッドホンは見つかり、手元に戻ってきた。

ひとのやさしさとありがたみを忘れないように、この文章を書いた。
世界を過小評価しそうになったときに、読み返そうと思う。

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