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竹内朱莉さんバーイベ思い出しながら感謝するお誕生日当日。

青い空の画像

気持ち悪いことしか書きません

お誕生日おめでとうございます

かわいい!!

まじでお顔が可愛かったな。
人間の目が二つなのも口がひとつなのも、竹内朱莉さんの宇宙一かわいいお顔へのリスペクトできっとそうなってるんだな。
あれが人間の顔のイデア、きっとそうだ。

こんなにかわいいことある?
こんなにあたまちいさいことある?

前から2列目なんてとんでもない席をひいたのに申し訳ないくらいお顔ばっかり見ていた。
かわいすぎて意味が分からなくて、なんでこんなに意味が分からないくらいかわいいんだろうと思ってまたたくさん眺めた。

でも最後まで意味は分からなかった。
とにかく脳が処理しきれないほどの「かわいい」だった。

あの歌声にはモーツァルトもにっこり(会場がモーツァルトホールというところでした)。知らんけど。
この世に音楽というものがあってくれてありがたいなあ。

竹内朱莉さんの可愛さを前にすれば今から書くことは嘘なんですが、
初めてやったバースデーイベントが10年前なら、これは11回目のバースデーイベントです。植木算です。「1年前に初めてやったよね」と思うとき、それは2回目でしょ。
嘘です。竹内朱莉さんが可愛かったので、通算10回目のバースデーイベントでした。これが真実です。

衣装めちゃくちゃかわいい。
似合ってました。
グッズの撮影のときより似合ってました。

肌がきれいで、お目々の上がきらきらしてて、少女漫画みたいに目の中にキラキラがあるんだよ。
いやライティングとかね、わかるけどさ、そんなことある?

こんなにかわいくてひとりの女の子で、
でも歌の端々(?)や首で体幹で足でリズムを刻むところや、ぱっと手を開いて音ハメするところなんかは確実にあのアンジュルムのリーダーと同じ要素で。
この目の前の女の子は、本当にあのアンジュルムのリーダーの人なんだ、
愛・魔性でえげつないキレキレのダンスして、悔しいわの最後でぶちかますあの人と同一人物なんだ、と感激した。

奇跡じゃん。ありがとう。

「愛はまるで静電気」

最後の「お願い約束よ」、1公演目で小指をちゅんってしたから、ぼくもしたから、約束したので勝ちです。
2公演目のほうが席が近かったけど、2回目はしてくださらなかったなあ。

「私が思い出になる前に」って歌ったまいまいが我々の前に戻ってきてくれたから怖いことなんて何もなかった。
そもそも、その前に「25歳も応援よろしくお願いします」と言ってくれたので怖いことなんて何もなかった。

あと愛理のソロの後のところ、ああいうの1人で歌う場合は原曲の被せがあることが多いと思うんだけど、全く被せが無くて、潔く途中から、それでいてなんとなく自然に入っててどういうことだ?と思った。
ビデオ判定が必要です。配信はよ。

このご時世で仕事うまくいかなくて都会で小さくなって暮らしてた僕をアンジュルムという光が見つけ出して照らしてくれたように思う。あんな小さかった私を見つけ出してくれてありがとう。

(ぼくは竹内朱莉さんの古参オタクさんたちのおたくみたいな面もあるので2番の「あなたがいたから光っていられた」を浴びる古参オタクさんたちを見てみたい気持ちもあったけどそんなことしたら溶けてしまう人が続出するから無かったんだろうなあ。)

「氷点下」

氷点下、1回つるっと聴く場合には、「弱くさせたんでしょ」とその前後の歌い方で全体の印象がほぼ決まる曲だと思うのだが、これが宮本佳林さんのMV(音源)と全く異なるアプローチをしていて興味深かった。
普通に印象的に歌おうとしたら「弱くさせたんでしょ」の手前を少し引いておいて、「弱くさせたんでしょ」に熱をこめて訴えかけるように歌うことになると思う。悪い意味ではなくMVではこれに似た表現になっている。

が、竹内朱莉さんの歌い方は違った。強弱はありながらも脈々とひとつの思いが連なるような歌い方。

曲に必要な表現はMVとステージでは違うだろうし、持ち歌とカバーでも異なるだろう。
MV、音源での宮本さんの表現もとても好き。これがご本家さま。
しかし、竹内朱莉さんが、ソロで、生で聴いてもらうことだけを想定して歌うなら、やはりあの表現で受け取れたことがとても良かったと思う。
あそこで緩急をつけないの、意外とチャレンジングだなあ。好き。

そういや「去年間に合わなかった曲」って言った瞬間に氷点下くると思ったよね。
思った。合ってた。
好きって言ってたし、さすがにここ1年のファンでもわかる、あれは竹内朱莉さんが好きな曲だ。
ちょっとずつ竹内朱莉さんのことを知れているのがわかって嬉しい。まだ知らないことばっかりだけどそれも嬉しい。

「でも」って置くのうますぎんか? これも宮本佳林さんとは別のアプローチでした。でもうまく言語化できない。配信はよ。

「灯台」

灯台。松浦亜弥さんの曲は「例外」を除いて有名曲以外は分からないんですが、これはわかった。
「例外」、すなわち、個人的にすごく好きなDearest.と「竹内朱莉さんが過去のバースデーイベントで歌った曲」だー!
去年の「笑顔」にビビり散らかして、ことしも松浦さんの曲を聴きたいと思ってたから嬉しかった。

過去の灯台を生で聴いてないけど、今回の方がよかったよなあ。それはそう、生で聴いた方がいいに決まってる。

竹内朱莉さんの声は倍音なんですよ。倍音きもちいい。
取り憑かれたように、竹内朱莉さんの歌を生で聴けるイベントやライブをどんどん申し込んでしまう。
いや取り憑かれ上等ですよ。
ばんざーいこの歌声を好きでよ(ry

灯台ね、DVDよりも鮮やかで、その分冷たかった。
竹内朱莉さんの温度だけがそこにあった。氷点下は意外と「竹内朱莉さんの温度だけ」みたいな印象は無かったなあ。不思議だ。

訥々と、暗闇に1人、灯台はただ立っているけど、竹内朱莉さんはそこに「立ちつくしている人」でもあった。

DVDのときはそんなに灯台みがなかった。DVD見てたときはそんなこと感じなかったけど。一昨日は「灯台み」をすごく感じた。

知らない曲たちの朧げな感想

ノクチルカは歌詞にノクチルカって出てきたから「あーそんな曲あったな」というのだけは曲中に思っていた。

最後のほうの「いぇいぇーい」みたいな曲楽しすぎたな。「いぇいぇーい」かわいすぎました。

もう少し前だけどなんだっけ、すげー綺麗なファルセットと、すげー綺麗なヘッドボイスがあった。竹内朱莉さんのヘッドボイスは断面が円。たぶん。そんなイメージ。

肌にもツヤがあったし声にもツヤがある。

竹内朱莉さんの歌を聴くと、ホールの空間とか、振動してくれる空気とか、天井とか壁とか全てに感謝したくなるの何なんだろう。
空気が振動して音が伝わる壁に跳ね返って反響する、そんな物理法則があるこの宇宙に生まれて来れてよかった。感謝です。

竹内朱莉さんがこの世に生まれてきたことを寿ぐ者たちの集団

会場の中も外も、雰囲気がお祭り感があってとてもよかった。

青いアイテムを身につけた人たちがたくさんいるとか、それもそうなんだけど、
元旦みたいなどことなく非日常であることに浮かれる空気だとか、何なら祭りの屋台で売られるおいしいもの、焦げたソースの匂いが漂ってきそうな、そんな雰囲気を感じた。

竹内朱莉さんがこの世に生まれてきたことを寿ぐ者たちの集団だった。

その匂いを感じ取れたことも、その中の1人として参加できていることも嬉しかった。

書くか迷ったけど、堂島孝平さん、お忙しいだろうに青系のスーツ着ていらしてて、そゆとこですよ。
だからアンジュルムも堂島さんが好きだし、堂島さんもアンジュルムが好きだし、おたくもアンジュルムだけじゃなく堂島さんも好きになっちゃうね。

でも退場時にさながら万引きGメンのように両サイドスタッフさん(たぶん)から抑えられて、あれはたぶん楽屋に連行されたよなあ。妹たち(メンバー)も来てたみたいだから、会えたのかな。

過去に感じていた後ろめたさのはなし

話かわるけど、ファンになりたての頃はファンであることに少しだけ後ろめたさがあった。それは「ひとの人生を、成長を消費しているんじゃないか」ということだった。

ドットビキニを見てもミステリーナイトを見ても、僕が感じたのは性云々ではなく、「女の子がひとりの女性になっていく」もっと言うと「子供が1人の大人になっていくその過程」を、赤の他人である自分がエンタメとして楽しむのは違うんじゃないかってことだった。

「ひとつの命が生まれて、成長して、おとなと変わらない姿になる」という過程や変化は、家族や親戚が喜ぶべきものではないか、あかの他人である自分がエンタメとして消費してよいのか、と考えて肯定できずにいた。

このことがまだ完全に解決したわけじゃないけど、2回のバーイベで「竹内朱莉さんは、その過程を外に置くことを選んだ人である」と感じた。
「選ぶ」ということが、25歳になられる今までずっと同じように続いてきたのだろうと感じることができた。
当時子どもだったからとか関係なく、その時々つねに外に置くことを選んできたということであって、勝手にものすごく後ろめたく思うのは、その人の決断を疑ったり勝手に評価していることなのではないか。
本人がそう選んでアウトプットしているものを、正当な対価を払って正当な分だけ楽しませていただく、そういう関係は、勝手にこっちが気に病むほどの「不健全さ」はないのではないか、と思った。

彼女の誠実な線引きは、ファンへの優しさや思いやりであると思う

そういえば帰り道、以前会った方と一緒に駅まで行ったのだが、「彼女の誠実な線引きは、とても優しくてファン思いだ」という話をした。

本当にそうで、毎日ブログやインスタを更新するわけでもないし、たとえばいわゆる認知とかファンサとかいうことが非常に薄い。
(たとえばTOは「宮本佳林さん」と固定されているので、実質的にはトップオタクという概念がない。だから、宮本佳林さん以外のおたくは横並びでいられる。)

だけど彼女は嘘をつかないし(これはつけない面もあると思う)、たとえばすごくしんどい日もあるはずだけどそれは発信しない。楽しかった日に、ブログを書く気分になった日に、本当に思ったことを書いてくれる。
出す出さないの線引きが彼女なりにあるし、この選択において無理はしない。
(脚を捻挫してライブに出るような無理はするけど、これはその時の彼女にとって「無理ではなかった」からなのだと思う)

だからオタクは「楽しかった」というブログを読めば「楽しかったんだな」と信じることができる。
彼女が「卒業を匂わせてるフラグじゃないよ」と言えば信じることができる。
水を飲んでる間拍手しなくていいよと言われればやめられる。(楽しかったからちょっとしたけど)

こういう積み重ねって簡単にできるものじゃない。
この優しさ・誠実さを、ありがたいと思うし、本当にファン思いだなと心の底から思うのである。
(「ファン思い」の形もそれぞれ色々あるけども。僕はこの形の優しさを受け取ってとても幸せです。)

「愛はまるで静電気」だって、℃-ute解散が決まってから最初に出たシングルで。
℃-ute解散後に1人だけ芸能界を引退すると言っていたまいまい(萩原舞さん。推しメン)が、「私が思い出になる前に」というパートを担当して。
「出会ってくれてありがとう、これからも忘れないでね」という曲なのだ。
「出会ってくれてありがとう、これからもよろしくね」ではなくて。
「愛はまるで静電気」はそういう曲。

僕はこの曲が比較的好きで、オンラインお話会でもリクエストするか迷ったけど、
曲がリリースされた背景を考えたらやっぱり言えなかった。

でも竹内朱莉さんはMCで「25歳のことは全然決めてない」と言ってたから、今のところ卒業する予定もなくて、卒業について強く意識して考えているわけでもなさそうだった。
そう信じることができるのは、竹内朱莉さんの優しさのおかげだ。

彼女、最後にバイバイって手を振ったあと、脇目もふらずダッシュで袖にはけるんですよ。
ほんとに、自分一人が注目される状況が苦手なんだろうし、でもバースデーイベントだからってファンの前に出てきてくれて、トークでも歌でもあんなに楽しませてくれて、感謝でしかない。

思えば、このバースデーイベント、異常にシンプルな構成だった。

こんだけ。司会とかゲストがいないどころか質問コーナーもバラエティコーナーも何もない。

でも、これ以上の構成ってなかった。
ほしいものの全てがあった。
すごいんだよ、彼女はすごい。こういうときに欲しいものをちゃんとくれる。

タイミングを読む人である(おまけ)

竹内朱莉さんはタイミングを読む人だ、ということを、今回ぼくははっきり認識できた。

タイミングを読むということをするタイプの人間だ。

何かアイディアや作品を出さずに持っていてタイミングを見て出す人だ。
だから桃源郷の前のアレとかも本人が意識してるかは別としてタイミングを読んで今だと感じて(ぼくはタイミングを読まない人、今やるorやらないの人なのでタイミングを読む人のことが分からないが)言ったんじゃないだろうか。

このへんはまた、リーダー論の考察のときに思い出したいと思う。

25歳も応援よろしくお願いします、と言っていただけたので、
25歳も応援させていただきます。

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