概要
「べき論」というのは、「~~すべき」「~~であるべき」という形の主張のことです。
「~~すべき」と考えないようにして、かわりに自分の「~~したい」という心の声を聞くようにしました。
他人への「べき論」をやめてみたら、『自分にはどうしようもないこと』で憤ることが減り、おだやかに生きられるようになりました。
具体的にやったこと
「~~べきだ」と人を非難したくなったとき、立ち止まって自分が本当は何を考えているのか、何をしたいのかを聞いてみるようにしました。
すると「~~べきだ」という一見客観的な批判の根底には、自分の「むかつく」という気持ちや嫉妬のような感情が潜んでいることが多いことがわかりました。
むかついている相手を非難するために尤もらしい「~~べきだ」を見つけてきていることすらあったのです。
「私は、あの時の記憶から、この人を許せないでいるんだなあ」と客観的に見ることができれば、「〇〇すべきなのにあの人はやっていない」というような義憤はスッと軽くなります。
心おだやかに、目の前の自分の課題にとりかかれるようになりました。
「イライラするかどうか」は自分で選ぶ!
腹が立つことを言ってくる人はいます。
相手に悪意があってもなくても、イラっとすることはあります。
でも、「そのイライラをどのくらい自分の中に残すかは、自分次第」と最近気づきました。
その「イラっと」の中から自分なりによかったことを探して生かすこともできます。
自分を焚き付けてエネルギーにできそうなときは、あえて自分の中に残すこともあります。
イラっとする出来事なんか自分に都合よく使い倒してやればいい、と思えるようになりました。
終わりに
今回は他人への「べき論」をやめたことで生きるのが楽になった話を書きました。
もちろん、自分への「べき論」もやめてみようと思っていますが、まだ少し自分を縛りがちなところがあります。
うまく手放せる方法をみつけたら、また記事に書こうと思います。