自分のセクシュアリティについて、まとめて書いたことがなかったので、書いてみます。
この記事には、性・性別・性行為などの話題が含まれます。苦手な方は避けてください。
書こうと思った理由は、「あるはずの権利を奪われている人の、権利を回復する」ことに貢献できる可能性があるためです。これについてはまた別記事で書こうと思っています。
2回に分けます。今回は、「外に向かう矢印編」です。
恋愛や性行為など、他人との関係で見えてくる私のセクシュアリティについて述べます。簡単に言うと「好きになる対象」だとか「性行為を望む相手」だとかいう話です。
先に結論を書きます。
- 性別に関係なく好きになることがある
- 主に女性に対して、性的な興奮を覚える
- 性的な関係を持つのは、恋愛関係にある相手のみ
だいたいこんな感じです。
恋愛的指向
「誰を恋愛としての意味で好きになるか」です。LGBTQの用語の中に、しっくりくるものがあります。「パンセクシャル」です。
これは相手の性別に関係なく、好きになることがあるというセクシュアリティ。女性のことも、男性のことも、好きになったことがあります。
性的指向
「好きになる性」と「性的な興奮を覚える性」が異なる
僕は「好きになる性」と「性的な興奮を覚える性」が異なります。
既存のLGBT用語としてはクロスオリエンテーション(恋愛対象と性的対象が異なる)でしょうか。
世の中のほとんどの人がこの2つが一致していると思うので、なかなか理解してもらえないと思うのですが、「理解できない性がある」ことの例になると思うので詳しく書きます。
「性的な興奮を覚える性」が女性とはどういうことか
僕の「性的な興奮を覚える性」は「ほぼほぼ女性」です。
これがどういうことかをお伝えするために、いくつか具体例を用意しました。
- たとえば、男性の写真を見ても中身を想像しませんが、好みの女性の薄着の写真を見たらやっぱり(?)中身を想像します。
- 街を歩いていて、何となく女の子を見ています。すれ違う女の子に「あっあの子かわいい」とか思っています。友人に「今すれ違った男の人イケメンだったね」と言われてもわかりません。
- 好きな顔の芸能人を聞かれると、女性の名前はたくさん挙げられますが、男性はなかなか浮かびません。
- アダルトコンテンツを視聴するときは、男性の目線で見ています。(あまり見ないけど)
なぜ、いつ気づいたか
小学校高学年から中学生あたりで、性的なことをしている夢を見ることがあると思うのですが、僕はその夢の中の相手がいつも女性でした。違和感を最初に抱いたのはこのときです。
当時の僕は、セックスが子供を産むために必須な行為だとは知らなくて、キスの延長みたいな「大人の遊び」だと思っていました。
なので、「セックスは恋愛関係にある人がするもの」「恋愛は異性どうしでするもの」だと思っていて、「なんかおかしいな」と思っていました。
でも、中学校が女子校だったので、周りに女の子しかいないのが理由かなあと思っていました。
「ほぼほぼ女性」の「ほぼほぼ」はどういうことか
男性とセックスができることがある(詳細は下に書きます)ので、男性に対してゼロではないんだろうなあ、と考えています。
男性とお付き合いする場合の諸々の問題
男性とお付き合いすることはあるか?
あります。お付き合いしたことがあります。
男性とセックスできるか?
パートナーであれば。
デミセクシャル(心理的に強い絆があるパートナーにのみ性的欲求を感じる)みたいな感じかなぁ。
アセクシャルの方でもパートナーがいたり、パートナーとセックスする方もいますよね。それと似ているかもしれません。
別に「我慢して耐えている」わけでも「相手に合わせている」とかでもありません。(というか、パートナーって、ある程度のラインで自然に「相手に合わせたい」と思う関係ですよね。)
でも、まあ、相手が特にセックスを望まなければ、しないと思います。
綺麗事じゃない? 本当は男性への性欲もあるのに見ないふりしてない?
「綺麗事じゃない? 本当は男性への性欲もあるのに見ないふりしてない?」
↑これは僕自身がよく気になって自分に聞いていることなので書いてみました。
そうかもしれません。わかりません。
僕には元々、性というものへの嫌悪感というか、大げさに言えば穢らわしいというか、綺麗じゃないものだという思いがあります。
誰にでも多かれ少なかれこの思いはあるんじゃないかなという気もしますが、僕はほかの人より少し強めかなという気がしています。
だから、自分の中にあっても見ないふりをしているのかもしれなくて、自分でもわからないです。
まとめ
- よくわからないセクシュアリティの人がいる
- 性自認編も書きます