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『勝手な期待』と『応援』を時として間違え、それは怒りに繋がるという話

あまり絶望だとかやるせなさを感じないタイプの人間なのですが、
2020年後半、これを2度も感じることになったので、原因を考えてみました。

再結成を期待していたアイドルグループのはなし

アルコールや不適切な行為により、メンバーがひとり脱退しているアイドルグループがあります。
以前から、そのグループが農作業をするようなテレビ番組が好きで、そのグループのことも応援していました。

最近、そのグループのメンバーが事務所をやめ、新しく株式会社を作るらしいと聞きました。
僕は、

と期待していました。

しかし、さらに最近になって、脱退したメンバーが飲酒運転で捕まったらしいという情報を得ました。

アイドルグループの再結成は絶望的に思え、勝手にしょんぼりしてしまいました。

もうひとつも、応援していた音楽グループの話

もう一つの話は詳しくは書かないのですが、『応援しており、これからも応援しようと思っていたグループ』のメンバーが抜けることになり、しょんぼりしている、という感じです。

そのメンバーなしではそのグループの音楽は語れないというほど、僕はそのメンバーの音楽を気に入っていたので、落ちこみました。

僕らが見ているのは1%未満である

二つの話に共通するのは、

ことです。

僕らがテレビやTwitterなどで得ている情報は、人の様々な面のうちの1%に満たない部分。
誰だってそうだと思います。
それがたとえ、日常や生活感を強く見せるものだったとしても、です。

芸能人でもなんでもない僕でさえ、Twitterに書けないような、妬みや悲しみを感じています。妬みや悲しみをツイートしたりブログにすることもありますが、それは「発信できる形」に加工したものです。

1%というのはかなりいい加減に出した数字ですが、
自らに「その情報から推測することがいかに危ういか」を納得させられる数字を選びました。

想像してしまうのは仕方ないが、勝手に期待して落ち込むのは勿体ない

勝手に推測するのは僕の自由です。
その人の情報を得たら、情報の周辺のことは勝手に浮かんできてしまうと思います。

しかし、その想像にしがみついて、そこに期待をして希望をかけて、『自分の重心をそこに預けてしまう』のは危ないです。

その期待どおりにならなかったときにしょんぼりしたり、何かに怒りたい気持ちになったりするからです。
そのやるせなさや怒りは、自らのエネルギーにも替えづらいものです。
本人や周囲の人に向けるのはもってのほかです。

ぼくは今のところ、「はじめから勝手な期待をしない」以外の対策を思いつきません。

定期的に、「重心を預けてはいけないものに、寄りかかっていないか」を自らに問うていきたいと思います。

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