藤井四段、連勝が続いていますね。
懐かしの「モンテッソーリ」という言葉を耳にすることが増えました。
私が幼稚園のときに、モンテッソーリ教育の習い事に通っていたので、今日はそのことを書きます。
週一回、幼稚園が終わった後に行っていました
週に1回、幼稚園が終わって帰る足でそのまま、モンテッソーリのお教室に行っていました。
1回2時間くらいだったでしょうか。
(幼稚園は、モンテッソーリ教育の幼稚園ではなく普通の幼稚園でした。)
好きなことを選んでいい
私が覚えている、モンテッソーリのお教室の特徴は、
- 作業のことは「お仕事」と言う
- すきな「お仕事」を選ぶ
- 同じお仕事を何回やってもいい。すぐに他のお仕事をやってもいい。
- 決まりはただひとつ「片づけてから次のものを出す」
です。
「お仕事」の種類は、
ボタンを嵌めたり外したりするのとか、
ちょうちょ結びをして外して戻すのとか、
アイロンビーズもありました。
木の積み木みたいなのもあったなぁ。
紙に穴があいていておもちゃの針で毛糸を通す(手縫いのなみ縫い)とか、織物とかは何回もやりました。
幼稚園にせよほかの習い事にせよ「~~しましょう」「~~しなさい」ばかりだったから、「やりたいものを好きなだけやっていい」というのが新鮮で最初は戸惑った記憶があります。
通ってよかったこと
私は身体が小さい子どもだったこともあって、幼稚園やほかの習い事では、よく置いてけぼりになっていました。
子どもながらに、劣等感みたいなものを感じていた記憶があります。
モンテッソーリのお教室では、お仕事は基本的にひとりでやるので、劣等感を感じることはありませんでした。
また、変な喧嘩にまきこまれることも、誤解されて怒られることもなく、心が平穏に過ごせました。
あのときハマっていたものを思い返すと、なんだか自分の生まれつき得意なことや好きなことが見えてくるように思います。
子どもに〇〇教育をさせねばと必死になる親御さんに思うこと
あんまり一生懸命になりすぎないで、と思います。
私の身体の特徴(しかも主に障害に近いもの)は殆ど、大人になってから判明したものです。
ふつうの人の脳よりも苦手なことがあること。
目が少し乱視でとても疲れやすいこと。
聴覚過敏だということ。
などなど。
見つかるまでに時間がかかったから、大変な思いもしたけれど、
その経験も含めて、私には無駄じゃなかったと思っています。
母は「今の科学や医学の知識があれば、もっと色々なことをしてあげたかった」と思っているようです。
でも、私は「そうでもないよ」と思っています。
もし物心ついたときから当たり前にそれが分かっていたら、自分の得意なことや不得意なことをこんなに深く考えませんでした。
自分に足りないものをどうにかしなくちゃと沢山考えたおかげで、自分が持っている才能、ギフトに気づけました。
もちろん最新の科学や医学にはお世話になったほうがいいし、苦しむ人が減ったほうがいいのは勿論です。
ですが、私に関して主観的に言えば、「結果オーライ」「無駄なことなんてひとつもない」というポリシーも含めて、とても幸せに生きています。
こんなノーテンキな例もあるのです。
親御さんがたに「気負いすぎないで」と言いたいです。