こんにちは! かおるんです。
さっき夕ご飯を食べながら、
「自分がされて嫌なことは人にしてはいけない、って小学校で習ったけど、あれは嘘だよなあ!」
と突然思ったのでそのお話。
この辛さを人に味わわせてはいけない
むかし、小学校の先生から「自分がされて嫌な事は人にしてはいけない」と習いました。
私は単純作業が苦手なので、自分がやっているときの辛さを思い出して、「この辛さを友人に味わわせてはいけない!」と納得していました。
「単純作業を人に頼んではいけない」と私が思い込んでいたことには、この刷り込みも影響しているような気がするのです。
勿論、これは、「自分が嫌なことは、他人にも嫌なことだ」と言う私の勝手な解釈があってのこと。
ただ、
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- 自分にとって嫌なことでも、どこかにはそれが好きな人がいるかもしれない
- しかも、探せばかなり近くにいたりする
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とかいうことを小さい時から教えられていたら、
「自分の苦手」を人に頼むことへのハードルは、もっと低かったのではないかなあと思うのです。
学校で教えることも変わっていってほしい
そういえば先日Twitterで、
日本では「みんな同じ人間なのだから仲良くしなさい」と習う。
しかし海外では「みんな別々の人間だけど仲良くできる」と習う。
というツイートが流れてきました。
外国では、「自分の嫌なことが誰かの好きなことかもしれないから人に頼みましょう」とか習うのかな。
「これからは1つより複数の技能に秀でている人のほうが有利」とか「得意なことを提供しあってコ・クリエーションが起こる」とか、ライフ・シフトみたいな内容を知ったら気持ちが楽になる生徒もいると思うのです。過去の私みたいなね。
日本の教育も少しずつ変わっていったらいいなと思います。
「自分の苦手を人に頼む」が当たり前の場所も、ある
そういえば。
「自分の苦手なところは誰かの得意なことかもしれないからガンガン人に頼みましょう」ということが当たり前になっている、ライフエンジンというコミュニティがあります。
私もそこにいたから、「自分の苦手を人に頼る」ことができるようになったのです。
まとめ
- 小学校で習うことには嘘もあるよ
- 大人になってからも、人との出会いで色々変わる
- 私の苦手なことは、誰かの得意なことかもしれない