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「めんどくさいことは人に頼ろう」と自分に言い続けたい

私は気分や体調に波があって、地味な作業をコツコツ続けたりすることがとても苦手です。

そんな私が人に頼ることを覚えたら、自分の人生が加速度をつけて転がっていくような、生まれてからほとんど味わったことのない感覚を味わっています。

私のような人に、誰よりも私自身に、「めんどくさい」を手放すことをオススメしたいという話。

「性格上、頑張らなきゃいけないところがある」は思い込み

私は、いちど満足して気が済んだことにもう一度取り組むことが苦手です。

しかし世の中に価値を提供するときには、何かの形になっている必要があります。
どんなに素敵な発見をしたとしても、見える形になっていなければ評価されません。

世の中から評価を受けるためには、私は「何かの形にアウトプットすること」だけは歯を食いしばって頑張らなければならないと思っていました。

しかし、先日、私はそれが思い込みだったことを知りました。

「私それ一日中出来るのに」

ブログを書くことで、ご飯を食べられるだけの収入を得ている人はたくさんいます。

実は、どんなに素晴らしいブログを書いていても、それだけでお金をもらうことは難しいです。

ほとんどの人が、単純に文章を書くことに加えてこれらの作業を行っています。

広告を貼るというのは、長いURLを自分のブログにコピーアンドペーストする作業なのですが、私はこれが本当に苦手です。

あるとき知人に「私、広告張りがめんどくさくてブログからの収入ほとんど無いんだよね」と言ったところ、
「私その作業だったら1日中できるのに」「私でよければやるのに」と言われました。

URLのコピーアンドペーストは万人にとって「MPを削りまくる大変な作業」ではないんです。

「めんどくさい」と言い切ってしまってもいい

私は、自分が手放したい作業を「めんどくさい」と言うのをなるべく避けてきました。

「私にはめんどくさいから代わりにやってほしい」というのは「めんどくさい」を押し付けているようで失礼に思えるからです。

でも、それは違います。

単純作業が得意な人に単純作業を頼むのは、べつに「めんどくさい」の押し付けではありません。

もちろん、私の小学校・中学校時代のような、「出る杭は打たれる」「苦手な部分を頑張って頑張って埋める」という環境では「めんどくさいから」という言葉は使わない方が良いでしょう。

「めんどくさいことこそ修行」「精神を鍛える」という考え方すらあります。

ただし、大人になれば、所属するコミュニティーを自分で選ぶことができます。

そこが「得意を生かし、苦手は人に頼る」ということが当たり前の環境であれば、「これめんどくさくてできないからお願いできませんか」と言い切ってしまっていいと思うのです。

周りに、まだめんどくさいことを手放せないでいる人がいれば、「めんどくさいという理由で人に頼ってもいい」と示すことができます。

私がいかに「面倒なことを面倒と思わずに頑張らなければ」と強く思い込んでいるか、日々感じます。
手放していいなんて、自分で考えて思いつけるものではありません。

だからこそ私はどんどん手放して、「手放しても大丈夫。怠け者ではない。ちゃんと生きていける」と自分に示していこうと思っています。

まとめ

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