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元うつ患者が、闘病中の人との別れを経験した話

春は、別れの季節といいますね。

ぼくもきょう、別れを経験しました。

ぼくにはお世話になっている人がいて、ここ7年ほど、週に1回の集まりでお会いしていました。
ぼくは、その人を先生と呼んでいたので、この記事でも「先生」と書くことにします。

目次

精神的な病気による別れ

先生と会えなくなる理由は、先生が昨年から(たぶん精神的な)病気にかかられて、4月から療養に専念するために、集まりをお辞めになるのです。

引っ越しもされて環境を変えられるそうで、「病気の原因になっているかもしれないこと全部から、いったん逃げる」ということです。

自分のせいで、先生が病気になったとまでは思っていません。

……いや、思っているかな。

「自分が言った、あの一言がなかったら、先生は今こんなに苦しんでいないのではないか」みたいなことは、もう100回は考えました。
「あの一言」というのは、言い合いになったときの言葉ではなくて、
もっと「こんにちは」を笑顔で言ったらよかったとか、もっと毎週会える喜びを伝えるべきだったんじゃないかとか。

また、「先生は、先生を病気にしたぼくを嫌いになってしまったのではないか」とも考えました。

そして、後悔の波と、「さみしい」の波が交互にやってきます。

週に1回会っていた先生と会えなくなるのが、純粋にさみしいのです。
こころがぽっかりと、空いてしまったような気持ちです。

もっといろんなこと、お話ししたかったなあ。
でも、ぼくたちとの会話が、負担になっていたかもしれないからなあ。

環境から逃げる大切さがよく分かるからこそ

ぼくは、たいていのうつ病は、適応障害や発達障害のようなものがきっかけになっているんじゃないかな、と何となく思っています。

うつのようになっていたけど(診断が下りていた人も)、学校をやめたらすっかり良くなったとか、会社をやめたらすっかり良くなったとかいう人を何人か知っています。

ぼく自身も、5年もうつ状態と戦っていたけれど、ストラテラを飲み始めて、一般企業に就職する夢を諦めたら、数か月で普通の生活が送れるようになりました。
(ADHDなので、生活レベルは非常にポンコツだけど、それでも死にたいと思うことはなくなったし、朝起きて夜に寝る生活ができるようになりました。大きなことです。)

環境が変わったら治るというのは、可能性として「ある」ことだと思います。

そんな簡単なことで、苦しみから抜け出せるかもしれないなら、ぜひやってみてほしい、と思うのです。
そうは思うけど、あえなくなるのは、さみしいんです。

ちなみに。
「今日がお会いできる最後になる」というのは、1週間前からわかっていたことですが、この1週間は、思い出すたびに泣いていました。
たぶん、数時間に一回とか。
「こんなに泣く?」って自分で思うくらいでした。
それとともに、それくらいにさみしく思える人と出会えたことを、ありがたくも思うのです。

きっと、ぼくの過去にも泣いてくれた人がいたんだ

ぼくも過去に、うつが理由でやめたものがあります。

大学院で博士課程に進まなかったこともそうだし、アルバイトもそうです。

そのときは、ぼくはうつの真っただ中でした。だから、みんなはぼくが居なくなったら気が晴れるだろうとは思いました。
しかし、自分がやめることを、もったいないとか、惜しいとか、思ってくれる人がいるなんて、思いもよりませんでした。

そして、その記憶は思い出すことがなかったから、そのままになっていました。
ぼくは、みんながさみしがってくれた、惜しいと思ってくれた可能性を考えないまま、今まで過ごしていました。

ぼくのことで泣いた人がいるかはわからないけれど、
ぼくが博士課程に進まないことを「惜しい」と言ってくれた人は、ぼくが思っているよりもずっと、惜しんでくれていたのかもしれないと思いました。

「自分が悪かったのか」は関係ない。よくなることを祈るだけ

先生の病気についてたくさん悩んで、「自分を責めることは、先生の病状とは関係がない」と気づきました。

もし、たとえ、自分の言動のなにかひとつが先生を傷つけたとしても(きっと人間同士だから、一つとは言わずそういうことはあるだろうと思います。でもそのことが先生の病状にどのくらい関係しているかは、ぼくも、先生も、医者も、わからないのです。)、
そのこと一つずつを謝ることはできないし、
そのときのことを掘り返すことが善策とも思えません。

「自分が先生の病状に影響したかもしれない、わからないけど、そうであってもそうでなくても、ただ先生が癒えるように、よくなるように」と願うしかないのです。

自分がどのくらい自分を責めても、それは先生の病状には関係がないのです。

「ぼくは、自分を責めたいのか、それとも、先生によくなってほしいのか?」と考えたとき、
「あったかなかったか分からないことで、自分を責めるのはやめよう」と思いました。

そして、ただ純粋に、先生の回復を願うことにしました。
さみしいもんは、さみしいので、純粋にしみじみと「さみしいなあ」と思いました。

今日聞いた歌声を、きっとずっと忘れない

ここからは、ただのセンチメンタルです。

ぼくたちの集まりでは、よく、一緒に歌を歌いました。

先生は学生時代に(確か)トロンボーンをずっと吹いていた方で、
まるでトロンボーンの低音をよく鳴らすような、きもちのよい歌声で歌われるのでした。

ぼくはその声がとても好きでした。

今日、みんなで歌を歌ったとき、先生の声だけ、ずっと聴いていました。
(ぼくのパートはただの嗚咽でした。笑)
ずっと忘れたくないと思いました。

そして、先生が病気の中でも歌声を響かせることができることに感謝し、
(ぼくはうつ病のとき、歌を歌うなんて全然できませんでした)
「やっぱり楽器をやっていた人の肺活量は、普通の人とは違うのかなあ」などと思考回路を浪費しました。

先生がお元気になったら、またきっといつか、一緒に歌を歌いたいと、心から思ったのでした。

意味

映画「ツレがうつになりまして。」の中に、ツレが「うつになったころ、自分がうつになった”原因”を考えていた。最近は、自分がうつになった”意味”を考えるようになった」というようなことを話すシーンがあります。

ぼくは、ぼくが鬱になった意味を少しずつ分かってきたところですが、先生が病気になった意味は、まだ全然分かりません。
いつか、先生が病気になられた意味を知りたいです。

そして、ぼくの今のこのさみしい気持ちにもきっと意味があります。このさみしい気持ちの意味も、いつか知りたいと思うのです。

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