こてんさんと一緒にセルフコーチングを2回してから、約1週間が経ちました。
その間にぼんやり浮かんできたことがあります。
尚、前回の記事は魂の「谷山・志村予想」を探す旅③となっています。
④と⑤は欠けています。④、⑤として、セルフコーチング2回目のことを書く予定でした。
しかし、今の温度を一度書き留めておきたいと思ったので、とりあえず④と⑤をとばして⑥を書きます。
魂の「志村・谷山予想」を探すには、やっぱり楕円曲線の勉強をやり直したほうがよくないか?と思う謎
頭の隅にうろちょろする思い
セルフコーチングをしながら、頭の隅にうろちょろしている思いがありました。
それは、「やっぱり、本家(志村・谷山予想というか谷山予想というか定理)を知ってから、証明とか読んで理解して味わってから、自分のこと考えたいな」というもの。
それが筋じゃないか、という気持ちもあったり、
もう数学のことってかなり忘れてしまったので、「素敵な定理を、わかっている自分として、生きたい」という気持ちもありました。
でも、魂の志村・谷山予想は、ものの例えなんだから、本当に理解している必要はないのです。
でも、「やっぱ理解しといたほうがよくないか?」と何となく思っていることが気にかかりました。
突き詰めて考えると、どうやら自分は「本当は理解したいな」という気持ちを持っているようなのです。
数学ガールくらい今から読んでもいいのではないか
数学ガールという本があります。
僕は読んだことがありません。でも去年買いました。
数学ガール フェルマーの最終定理 は、純粋数学の知識が全くないところから始めて、フェルマーの最終定理についてどういう定理で、どういう証明をしているかということを、最低限の知識をつなぎ合わせながら書かれた本です。
(と、パラ見したときに思いました。)
学生のときは、「この本を読まなくても、近いうちに知ることだから、体系的に学ぶことに時間を使いたいな」と思ったのでした。
体系的に学ぶほどの時間と体力はないけど、また少し数学に触れてみてもいいかなあという気持ちで買った、ような気がするのです。
万年筆買うときいつも、いつかやる数学のこと考えているという謎
もうひとつ、気になることがあります。
万年筆を買うために試しがきをするとき、いつも「これならノートに数学を書くのにも使えそう」というのを気にするのです。
「手帳のために極細がほしい」とかいうときは例外なのですが、
ぼくは本当は太字が好きなのです。しかし、中字~中細字も気になる。
中字~中細字を試しがきするのに思い描いているのは、B罫のノート。
そこに、数式が書けるか、添え字があっても書けるか、をついつい確かめてしまう。
自分はもしかして、数学がやりたいのかなって、ちょっと思いました。
「結論がほしかった」可能性は否めないから、ちょっとずつ試してみようと思う
とはいえ、「綺麗な着地、綺麗な結論、大団円を心が求めていた」とか「考えることに疲れてきて、そろそろ結論を出したかった」という可能性も否めません。
これは、自分がADHDである以上どうしようもないことなので、少しずつ時間をかけてさらに観察しようと思います。
さしあたって、数学とどうやって付き合っていきたいか、セルフコーチングでもしようかな!