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20歳で発症したうつ病寛解の最後の砦は『学ぶことへの全肯定』だった

約10年前、20歳で発症したうつ病が、最近本当にグッと良くなったなと感じます。ここ数か月での変化です。

具体的には、

  • 9:00から20:00ごろまで活動できる
  • 週4回程度、30-40分程度の運動
  • 睡眠時間の安定

が継続してできるようになりました。

ストラテラとコンサータを服用するようになってから、毎日7時間くらいの稼働時間を得ていました。この7時間というのは生活に必要なルーチンも含むので、ほかの人と比べると1日のうち半分くらいしか活動できていないな、と感じていました。

しかし、ここ数か月は9時から20時ごろまで活動できるようになってきました。
本当にうれしいことで、びっくりしています。

そのきっかけは「学ぶということを、無条件に肯定できたこと」だと思います。

目次

大学での研究職を目指すことをやめたわたしは「なんの役にも立たない学び」を肯定できなかった

中学一年生のとき、突然数学にハマりました。
きっかけは小さなことでしたが、数学の世界に憧れたわたしは「ずっと数学をしたい」と思いました。
ちょうどそのころ、大学には数学科という科があり、数学の勉強をすることができてそのまま研究者になる人もいるのだと知り、わたしもそうなりたいと思いました。
わたしにとって初めてできた、将来の夢でした。

その気持ちを持ったまま、無事大学の数学科に入り、学習を続けました。
生活の全てを、数学に捧げていました。
しかし、大学3年生のある朝に、突然重力が10倍になったようにベッドから起き上がれなくなりました。うつ病でした。

そのまま何とか大学院まで卒業したものの、当然ながら博士課程に入ることのできる論文は書けませんでした。一日のうち起きていられる時間は5時間くらいで、学校に通うことも机に向かうこともできずに数学を学ぶことをやめてしまいました。

純粋数学を学び続ける道は狭い

(※純粋数学とは、下に挙げるような『役に立つ』数学すなわち応用数学とは異なり、応用を意識しない数学の分野。発見されたものが実際の役に立つのは300年後などと言われます。わたしがハマったのは純粋数学でした。)

当時、「日本で、純粋数学の研究を続け、それによって得たお金で生活をする」ということは、「どこかの大学の助教とか教授になって論文を書き続ける」こととイコールでした。
この状況は、今でもほぼ変わらないと思います。

生化学などの分野では、企業に就職して研究を続けるという道があります。研究の成果を商品に反映することで、会社が儲けを生むことができるからです。

それとは対照的に、企業で純粋数学の研究ができるところはありません。
データ解析や、計算やアルゴリズムを作ったり改善するなどの、いわゆる『役に立つ』数学の研究は、企業でもできます。
しかし、なんの役に立つかもわからない純粋数学を研究し続けるためには、『大学に残る』しか選択肢がありませんでした。
(『大学に残る』というのは、大学を卒業して、修士課程・博士課程を経て大学に教員として所属し続けることです。いずれは助教とか教授とかを目指すことになります。)

わたしはうつ病になって、博士課程に進学しなかったため、このルートから外れました。
数学以外に歴史や英語を学ぶことも好きでしたが、『研究職=お金がもらえる』という等式によって『学ぶこと』を肯定していたため、わたしは学ぶことが苦手なのだなと感じてしまい、学習をやめました。
大学院を卒業しても闘病が続き、みんなと同じようには社会人になれなかったので、「生活を立て直すことが優先で、学習は老後に余裕があったらしよう」と考えていました。

『自分が人生を楽しむために学ぶ』という学びのあり方に気づいた

闘病終盤からは、生活を立て直すために、自分の特性を補うものを導入していきました。
ADHD薬のストラテラやコンサータの服用や、スマートスピーカーとスマートリモコンを用いた時間管理などです。
ものの整理をしやすくするためにものを減らし、自分に合うものをひとつだけ選ぶというこだわりを楽しむようになったように思います。それを、このブログに書き溜めるようになりました。

そんな中で『ADHDの特性に困らなくなり、自分に合うものを選べたら、何がしたいか?』というセルフコーチングによって、『大学の研究職でなかったとしても、やっぱりわたしは数学がしたいのだ』と気づきました。
たとえ研究職に就かないとしても数学の世界を少しずつ知っていきたいという気持ちが、わたしの中に眠っていたようです。
読んでいる途中でうつ病になってしまって読み切れていない数学書を、読み切りたかったことを思い出しました。

問題集を解く時間が日常にもたらした光

「そうは言っても、学習は社会人として足場を固めてからだなあ」と考え、医師に「体調がいいし、少し長い時間働きたいなあ」と相談したところ、
「学ぶのが好きでしょ、そういうのをまたやってみるのはどう?」と勧められ、高校数学の問題集を解き始めました。

これが本当に楽しかったのです。
人生を「あの頃楽しかった学びとは離れ、これからは忘れていく一方だけど仕方ない」と何となく思っていたものが、覆されました。

「昨日覚えたことは、今日復習すればちゃんと明日も覚えている」と思えるようになりました。
これはつまり、自分は確かにあの頃の延長線上にいて、学ぶことによってまだまだ成長していく途中にあり、これからもずっと伸びていくことができるという希望でした。
「人生において、もうここから先は、既に得た材料を調理していくしかない」と思っていたのですが、それは間違っていました。
これから先も新しい材料を得ることができるし、調理器具だってより良いものに変えていける、料理の腕だってまだまだ上げることができると感じました。

このころから、自分の「ラーニングハイ」みたいな心地よさがゴロゴロ転がっていきました。この転がりに引きずられるように、わたしは生活を取り戻していきました。
うつ病が寛解してからも、どこかガス欠のような、頑張り切れないような自分を感じていたのですが、
ガスは充填され、火打石も手に入れました。

ライフワーク(学び)とライスワーク(教えること)を並行して行うために体力がほしくて運動を始めたことで、一日の稼働時間もぐっと広がりました。

高校生のときに受験に必要ないからと授業を聞いていなかった世界史や日本史を学びたかった気持ちも、取り戻しました。

『学び』はスポーツのように人生をかけて楽しめるもの

ところで、アラサーになってから傷の治りは遅くなりました。美容室でカラーをお願いしたら「白髪染めですか?ファッションカラーですか?」と聞かれることがあります。
意識して運動をしていかないと体力は落ちていくような年齢になったのだろうなと感じています。

でも、20歳で寝たきりだったわたしがFit Boxingやジョギングを週4回も楽しめるようになったように、負荷をかければ心肺機能もアップしますし筋肉もつきます。

たぶん『学ぶこと』もそれと同じです。
先ほどは『何の役にも立たない学び』と書きましたが、役に立たない学びはきっと存在しません。
世界を見る解像度が上がったり、新たな情報を得るためのアンテナになったりします。それが実感として得られなくても、知的好奇心を満たし、自己肯定感の向上にもなり、爽快感や達成感を得ることができます。
人生をかけて、ずっと積み重ねていけるものです。
この楽しい『学び』を積み重ねていきたいと思っています。

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