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うつ闘病5年目だった自分が宮野真守氏のライブに行くことになったいきさつの話

この記事の続きとして「うつ闘病5年目だった自分が初めて宮野真守氏のライブに行ったときの話」を書く予定です。

目次

疲れた。

2014年4月のことであった。

その日の夕方、応募していた家庭教師のマッチングに落ちた
(「この人の家庭教師をしたいです」と申し込んだが、ご家庭が別の先生を選んだと連絡が入った)

2009年からうつの闘病をしていた。闘病5年目であった。
その間に、ろくに勉強できないまま大学と大学院を卒業し、さらに1年が経っていた。

ぼくは焦っていた
このままでは、社会の中で何者でもなく、宙ぶらりんになってしまうと感じていた。

自分の手でお金を稼ぎたかった。そうすれば、自分も社会に貢献している証明になるからだ。自分がこの社会に大人として生きていていいと思えるからだ。
(つまり、宙ぶらりんの自分のことを、社会にいてはいけない存在だと思っていた)

1年か2年ぶりに家庭教師センターにアクセスし、自分の情報を更新した。
そして、自分向きの募集を見つけた。
場所も時給もよかったし、自分の得意な大学受験を目指すものだった。

応募フォームの「意欲アピール欄」にも珍しく時間をかけて長文を書いた。

しかし、マッチングに落ちた。

「宙ぶらりん」から脱出できそうだったのに、宙ぶらりんに押し戻された気がした
自分の居場所はまだ社会のなかにはないのだ、と思った。

疲れたなあ、と思った。

ラジオでも聞いたら気が晴れるかな

夜、ぼんやりとアニメを見ていたら、宮野真守さんの声が聞こえてきた。
「宮野さんのラジオでも聞いたら気が晴れるかな」と思った。

以前、ゲストの声優さんを目当てに宮野さんのラジオを聞いたことがあり、おなかが引き攣れて息が吸えなくなるくらい笑ったことがあったからだ。

友人から「そのラジオのパーソナリティは変わってしまったが、ちょうど今日から、新しいラジオ番組が始まる」という情報を得た。

深夜1:30、ラジオをつけた。

オープニングが開け、最初はおたよりを読むコーナーだった。

もう話は何だったか覚えていないが、「子どものかわいい言動を見た」というようなお便りだったと思う。
宮野さんはそれを読んでから、「いいねえ、かわいいよねえ、ああ、ほっこりするなあ」と言って笑った。

気づいたら、ぼくは泣いていた。

笑い声がとてもあたたかかったから。

笑い声がとてもあたたかかったから

「ひとの笑い声があたたかい」という理由で、涙なんか出るんだなとぼんやりと思った。

夜中に、ひとりぼっちで、社会から宙ぶらりんで、空虚で、疲れ切っていた自分の心に、その笑い声は沁みた。

ラジオの終わりに、翌月からライブツアーが始まると告知があった。
「こんなふうに温かく笑う人は、ステージの上でどんな歌を歌うのかな」と思った。

番組が終わってすぐ、ぼくはチケットをとった。

 

うつ闘病5年目だった自分が初めて宮野真守氏のライブに行ったときの話」に続きます。

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