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魂の「志村・谷山予想」を探す旅⑦前回からもう少し思考が進んで

こてんさんと一緒にセルフコーチングを2回してから、約1週間が経ちました。
その間にぼんやり浮かんできたことを、魂の「志村・谷山予想」を探す旅⑥ぼくは数学がしたいのかもしれないに書きました。

もう少し思考が進んだので、今日はそのことを書きたいと思います。

目次

実際にその環境で数学をやってほしいということではなくて

今は、思考がもう少し進んで、「ぼくが自分に与えたい環境」は、「ぼくが苦しまずに数学ができる環境」のことなのかもしれない、と思っています。

これは、実際にその環境で数学をやってほしいということではなくて、目指す理想の環境を一言で表すなら「ぼくが思う存分数学をやっても、苦しむことのないような、そういう類の、そういう方向性の環境」であるということです。

少しポエミー(ロマンチックと言ってあげたい)なことを言うと

一般的な大学数学をやって、即ち

  • 毎日服きめて
  • 満員電車に揺られて大学行って
  • 90分間椅子に座らされて
  • 男子にごみを投げられて
  • 変人や高慢な教授に神経をすり減らして
  • 研究職で飯を食っていけるのかの不安に耐えて

数学の楽しさを味わう余裕がちっともなくて、がんばってがんばってがんばって倒れてしまった自分に、最高の環境をつくってお迎えに行ってあげたい、ということなのです。

まあ20歳の自分にその環境をプレゼントしてあげることはできないわけだけど、でもそういう環境を自分に与えてあげたい(そのとき自分が数学をやりたがるかは分からないけど、それはそれでかまわない)というような気持ちを持っているのだと思うのです。

自分が具体的に数学というものを再びやりたいと思っているのかは、本当に分からないとしか言えませんが。自分が「熱しやすく冷めやすい」からです。

そんなわけで

そんなわけで、ぼくのバックボーンとこだわり(ニッチな趣味)をつなぐ橋のはなしは、きっと「ぜんぶ、自分が苦しまずに数学ができるような環境を作ってみたい、という気持ちに端を発している」ということができるかなと思います。

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