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髪を伸ばしてスカートを履いていたのは「女である」ことを自分に言い聞かせるため

こんにちは。

今日は少しヘビーな話をします。
考えがまだまとまっていないので、論理がおかしかったり、矛盾していたりするかもしれません。

私がつい数か月前まで髪を伸ばしてスカートを履いていたのは、「自分に女であることを言い聞かせるため」であり、自分で自分を縛る行為、もっと言えば自傷行為だったのだなあ、という話。

目次

『泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました』という漫画

『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』(通称『ボコ恋』)という漫画が、現在『くらげバンチ』というサイトに連載されています。(タイトルそのままの内容なので、HSPの方・暴力シーンが苦手な方はかなり閲覧注意です。)
1~3話と最新3話くらいが常に公開されていて、ここから読めます。>>実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。

私もHSPなのですが、この漫画を更新されるたびに読んでいます。(気分は良くないですがそれでも読みたくて読んでいます。暴力を楽しむ漫画ではないので読めるのかも。)

この漫画に、作者のペス山ポピーさんが「自分の性自認はほとんど男性で、男性からの暴力を受けたいという被虐趣味があるのは、自らの体の性を破壊する行為だからだ」と気づくシーンがあります。

先月、まっすぐ太めの眉を描いてみたら新たな世界が開けた体験 をして、私はスカートを履くのをやめ、髪を切りました。
その直後にこの漫画を読んだとき、作者の悩みと自分の悩みは無関係ではないなと思わされたのです。

自分の身体の性を受け入れられないという罪悪感

私は長らく、自分の中の「自分の性別を受け入れられない気持ち」を、見てみないふりをしていました。ひどくわがままなことにおもえたからです。

性同一性障害(FTMとかMTFとか)の人が「自分の性を受け入れられない」というのは分かります。その人たちは「男性なのに、なぜか女性の体に生まれてきてしまったから」「女性なのに、なぜか男性の体にうまれてきてしまったから」です。

私が自分の性別に悩んだ頃(今から15年くらい前)は、LGBTを含めても、性別は大きく「女性」「男性」「FtM」「MtF」に分かれていました。私は自分の性に違和感がありましたが、自分をFtMだとは思わなかったので、「女性」にカテゴライズするしかありませんでした。
だとすると、私の「自分の女性性に対する違和感」は、ただの「現実を受け入れないわがまま」みたいに思えました。そんなわがままな自分が嫌でした。

そのわがままを捻りつぶすように、私は髪を長めにしてスカートを履いて、ピンクのラメのアイシャドウを塗って生きてきました。

別に、女性でも髪が短くしていて良いのです。性自認に全く違和感がなくても、スカートをはかない女性もいます。
それでも、あえて私は髪を伸ばして、なるべくスカートを履くようにしていました。

すぐ顔を出す「女性性への違和感」をモグラ叩きゲームのように叩き続ける

なぜ、そんなにガチガチに自分を縛っていたかというと、「そうしなければ、自分が女性であることをすぐに忘れてしまうから」です。あえてなるべく頻繁にスカートをはいて、髪もなるべく長めにしていました。そうすることで、鏡を見るたびに、自分が女であると強く自分に言い聞かせていました。

イメージとしては、放置すればすぐ顔を出す「女性性への違和感」と「違和感を感じる自分」をモグラ叩きゲームのようにひたすら叩いていた、という感じ。

多分苦しかったと思うのですが、「現実を受け入れられない自分は罰されてしかるべき」だと思っていました。

それに、モグラ叩きゲームをしているときは、叩くのに必死で、「女性性への違和感」は感じずに済むからです。(ダメな自分に酔っていた、というようなことなのかも。)

「忘れてからまた考えればいいじゃん」

そんな私がスカートをやめ、髪を切り、女性らしいメイクをやめた日、友人にLINEをおくりました。「髪切ってカワイイメイクやめたんだけど、快感すぎてやばい、自分の性別を忘れそう」と。

友人からの答えは、シンプルなものでした。

「忘れてからまた考えればいいじゃん。忘れてるな、と思ったらその頃にまた聞くわ」

本当に心が楽になりました。

それに、友人は、私が女だから友達でいてくれたわけではなかったのだ、と気づきました。これはとってもありがたいことです。
私が自分の性別を忘れてしまって、好き勝手に生きていたら、もしかしたら「私は女性である」と言えなくなってしまうかもしれない、その時でもその子は友達でいてくれるのだなあ、としみじみ嬉しかったです。

「のっぴきならない自分の一面」を許す

『ボコ恋』の話に戻りまして。

「わがままな自分が嫌で、そんな自分をもぐらたたきで殴り続けた自分」と、「殴られたかったポピーさん」には、似たものがあるのかなと思いました。

『ボコ恋』の13話に、ペス山ポピーさんが、自身の嗜好にOKを出せた瞬間が描かれるすてきなシーンがあります。
私が13話を読んだのは、ちょうどこの友人とのLINEのやりとりをした頃でした。

そのコマを読んだとき、なんだか「今この瞬間に、私も女性性を受け入れられない自分を受け入れたなぁ」と思ったし、「私のアレにもちゃんと……」と感じました。(←この表記、誤解を生みそう(笑)。全然アレな意味じゃないんですよ! 素敵なシーンなのでネタバレしたくなくて!)

まとめ

  • 『ボコ恋』、おもしろいです。
  • 『ボコ恋』は、読者の私も、自分自身を受け入れられた不思議な漫画
  • 友達ってありがたいなあ。
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